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歴史的意義
光州学生独立運動は、全羅南道の光州地域の学生たちが日本帝国主義による暴圧に抗した小さ い事件に過ぎません。しかし、このような小さな運動が始まって全国的な抗日運動として展開 されるようになりました。光州学生独立運動が持っている歴史的な意義は、まさに「始まり」 ということです。
1920年代のはじめから徐々に始まった学生たちの抗日運動は、1929年10月30日、羅州駅で起きた韓国人女学生の戯弄事件が火種となり、11月3日に抗日示威が始まりました。そしてその運動は全国に拡散していき、学生のみならず、全国のすべての国民が一斉に日本の暴力に対抗するようになりました。わが民族の崇高な精神が目覚めるようになったことが、光州学生独立運動が持っている最も大きな意義と言えます。光州から始まった小さな一粒の雫が全国に拡散していき、それに留まらず、中国と日本の中でも激しい抗日運動が巻き起こりました。不義に対抗し、民族の誇りに目覚めるようにしてくれた小さな一粒の雫が大きな波になった運動だと言えます

1.11. 3 光州学生独立運動
1929年11月3日、光州で起きて全国に拡散した学生独立運動は、日本の帝国主義の支配に抵抗して起きた代表的な民族運動の中の一つで、その規模や影響、そして歴史的意義を考えると、3.1運動に匹敵する抗日独立運動だった。


光州学生独立運動は、単に光州地域の韓国人学生と日本人学生が衝突して偶発的に起きた事件ではなかった。3.1運動をきっかけに抗日独立運動の中心になった学生、農民、労働者などの民衆勢力が、日本帝国主義の欺瞞的な文化政策と暴圧の中で秘密結社を組織し、同盟休学闘争、小作争議、罷業などを敢行しながら抗日意識と組織力を高めていった。このような民衆の抗日運動の力量が熟し、学生独立運動が触発されたのである。
11月3日の学生独立運動は、当時の社会の先進的知識人として優勢な組織力と覇気を持って民族運動の先頭で活動を行った学生たちが中心的な役割を果たし、新幹会、朝鮮青年総同盟、朝鮮学生前衛同盟など、社会と青年団体が加勢して組織的に展開された。全国的な抗日運動に発展した学生独立運動は5ヶ月間続けられ、各級学校の5万4千人余りが参加するに至った。
海外にまで波及し、満州の間島、吉林省、中国の上海と北京、そして日本と米州地域でも激励の集会と万歳示威が行われた。その後にも学生独立運動の精神は継承され、様々な秘密結社運動、1940年代の強圧的な徴兵と供出に対する抵抗運動、1943年5月の第2次光学生独立運動などの抗日運動が相次いだ。
このような重大な歴史的意義を持っているにもかかわらず、11月3日の学生独立運動は未だ正当に評価されていない。そんな理由でほとんどの国民と学生たちはこの運動が韓日の学生たちの間で偶発的に起きた、単に光州地域に限定された事件だということしかわからず、11月3日を「学生独立運動記念日」として覚えているだけである。これからでも光州学生独立運動を包括的な民族運動のレベルで考察することで、社会的にその意味をきちんと理解し、さらに歴史的にも正当に評価を受けるようにしければならないだろう。



2. 光州学生独立運動の象徴である標章